極スマクソメガネやまねこ雑記

カラオケ、DAMとも、WUG、空目、その他諸々Twitterでは長くて書けないことをあーだこーだ

歌における歌詞とメロディーについての考察

最初に、自分がこれまで書いてきたようなこの手の考察やら何やらの記事は、専門知識も何もない個人の経験と主観に基づいた素人の戯言であることをご了承頂いた上で読んで頂ければと思います。


・歌と曲の違い

歌と曲という言い方の違いがある。歌にはメロディーに歌詞が乗るものだが、曲というと歌詞があるものだけではなく、BGMやインスト等のメロディーだけの曲も含む形になる。例えば歌謡曲は曲と言いつつ全て歌詞が乗る歌だ。

 

「好きな歌」となると歌詞も含めて好き、「好きな曲」と言うとメロディーが好きということになるのかなと思う。厳密に使い分けていることも少ないかも知れないが、自分の場合はほぼほぼ「曲」が好きだ。元々歌があるもののInstrumentalやオリジナル・カラオケだけを聞いても十分楽しめることがその裏付けだと思う。ただ、後述するが、自分の場合は歌詞を乗せた歌声も楽器の一部として捉えてその曲が好きということになる。

 

歌詞があっても歌というより曲という位置付けで聞く人はきっと一定数いると思う。自分はその一人だ。所謂メロディー重視派というところか。

殆どの曲についてそういう聞き方をするが、勿論自分もちゃんと歌詞を見て聞いて意味を理解することもあるのでそこは誤解のないようにお願いしたいところ。

 

 

・メロディー重視になったと思われる過去

自分の音楽の聞き方は比率的にはかなりメロディーに重きを置いている。

 

子供の頃は父親の好きなレイモン・ルフェーブルのイージーリスニング曲を聞いて育った。主にフルオーケストラの曲にドラムやギター等を加えて聞きやすくアレンジしたもので、自分はそれが気に入っていて、歌でなく曲を聞くということに子供の頃から慣れていたような気がする。

それもあって、義務教育の課程以外では多くの人に比べれば歌というものにはそれほど多くは触れてこなかったように思う。勿論子供の頃に見ていたアニメや特撮等の歌は覚えているし、音楽番組もたまには見ていたから流行っていた曲はそこそこは知っていたが、CDを聞くようになるのは高校になってからだった。

 

小学生の頃はドラクエ3の曲をラジカセに録音していた。再生ボタンと同時に録音ボタンを押し込む形で、録音の最初と最後にガチャンという音が必ず入る録音方式だ。中学でも同様の形でF-ZEROの曲を録音していた。高校に入ってからはSNKCAPCOMの格ゲーのサントラを買って聞いていた。今でこそカラオケを頻繁にやっているが、カラオケに行くようになったのも高校3年からで、回数も多くなく、カラオケに足しげく通うようになったのは大学の頃からだった。


歌よりも曲を好んで聞いていた期間が長かったのが、メロディーばかり追うようになったきっかけなのかもしれない。

 

 

・歌詞とメロディー

まず、歌である以上、歌詞もメロディーも大事なのは言うまでもない。

 

歌詞を書く人もメロディーを作る人も、歌う人もそれぞれの想いを込めて作り、表現している。
タイアップがある場合はダイレクションがある場合が殆どだと思うので、歌詞や曲や歌い方に関して多少なりとも指示がされる。
タイアップがなくても何かしらのコンセプトはあるはずでそれに則って作る。
そういうものが何もなければ、好きなように自分の伝えたいものをそのまま表現する形になるのだろうと思う。

 

そして、そういう作る側、表現する側の思惑とは関係なしに、聞く側は何を聞くか、どのように聞くか、歌詞に重きを置くかメロディーに重きを置くかは自由に選択できて、誰にも何も強制されるものではない。


とても当たり前のことだが、例えば極端な話だと、メロディーが大事で歌詞はちゃんと見てないという人を咎めることは出来ないし、逆に歌詞が大事でメロディーは気にしないという人を咎めることもできない。歌に求めているものが人それぞれだから、どれが正しいということはない。


勿論出来ることなら歌詞もメロディーもその曲が作られた背景や歌う人の思いなど全て理解して聞ければ望ましいだろうが、日々の生活で音楽に元気を貰ったり癒しを求めたり何気なく聞きたいと思うような時に、いちいちそこまで向き合わないと聞けないようだと重すぎる。

 

 

・歌を聞く時の歌詞のイメージ

この世の歌はラブソングの比率が圧倒的に高いと聞くが、恋愛、失恋、家族愛等の歌を聞く時にその情景が具体的に頭の中に浮かぶものなんだろうか。どんな歌でも聞く度に毎回その歌詞の内容を頭の中にイメージさせて聞いていたりするんだろうか。自分は歌詞の内容を頭の中で容易にイメージ出来ないタイプなのでなかなか見当がつかない。

 

歌詞を理解してその言葉の意味を大切に聞いている人は、例えばライブに行ったらやはり歌の中にある歌詞の意味をイメージしながらそのライブの歌を聞くんだろうか。バラードならわかるが、アップテンポな曲についてもそうなのだろうか。 歌っている人が歌詞を間違えたらその脳内のイメージは崩れてしまうのか。

 

自分の好きな SEX MACHINEGUNS で言うと、「みかんのうた」に代表されるような何かを連呼する歌や凄くくだらない(ように見える)歌詞の内容も多いわけで、勿論自分はそれが好きだから聞いているんだが、みかんのうたを聞く時に毎度毎度愛媛のみかんやポンジュースや風呂に浮かべたみかんをイメージするわけではない。実はみかんのうたもラブソングなんだが、そういう隠れたメッセージを常に意識することもない。

 

人によっては歌詞の内容が勝手に頭の中に浮かんでくるのかもしれないが、個人的にはそれだと疲れてしまいそうだ。

 

なんとなくだが、歌詞に重きを置く人はその人の中で一度歌詞の内容を消化すると、それ以降はほぼ意識せずイメージ出来たり勝手に情景が浮かんで来たりするんじゃないかなと思う。そうすると歌詞を呼び起こすのにメモリというか労力を割くことがなるなるんじゃなかろうか。


歌詞に重きを置かないタイプだって、ふとした時に歌詞の内容がすっと入ってきたり具体的にイメージ出来たりしていい歌詞だなと思ったりすることがある。

普段からそれほど歌詞と向き合わない自分であっても、気が向いたり自分がライブで歌う曲等はそういう時間を作る時はあるし、Twitterから流れてきたり人づてに聞いたり調べものをしていて何かの記事を見ていてダイレクションなり作曲者の思惑だったり歌う側の想いなどを知ったりすることだってある。

 

歌詞の内容やその曲が作られた背景や歌う人が伝えたいもの、何に気を付けて歌っているか等についてより深く知ればその曲が更にいいものに聞こえてくるというのはあると思うし、自分が歌うことになった場合に参考にもなるだろう。
ただ、それは歌詞に向き合いたいと思う人、深く知りたいと思うほど気に入った場合や時間に余裕がある時などにそうしたい人がすればいいのであって、誰かに強要したりするものでもない。

 

歌詞の内容を理解したとして、その歌詞が好きではなくても、曲と歌声が好きだから聞くということもあるはずだ。先に書いたように歌によっては特に意味のない(ように見える)言葉を連呼するだけのようなものもあるが、その歌詞が好きだという人もいるだろうし、メッセージ性の強い歌詞の方がそういう歌より優れているなんていうこともない。

恐らくだが、同じ人でも曲によって歌詞に重きを置いたりメロディーに重きを置いたりしているんじゃないかなという気がしているがどうなんだろう。

 

 

・メロディー重視派と洋楽

自分は10年以上の付き合いになる友人と3人で年に数回カラオケに行くのだが、その二人は綺麗に歌詞重視派とメロディー重視派に分かれている。


歌詞重視派の友人には自分が歌詞を間違えると結構苦言を言われたような気がする。メロディー重視派の友人は洋楽も沢山聞く。歌詞重視派の友人は洋楽を殆ど聞かない。これは分かりやすいなと思った。

 

洋楽は歌詞が分からないから歌の持つ意味を簡単に理解できないというのがあるんだと思う。日本人で洋楽の歌詞を見て理解できる人がそもそも少なく、更にメロディーに乗せた歌声で歌詞の内容を聞き取れる人はもっと少なくなる。邦楽であれば外でふと耳に入ってきた歌の歌詞がいいなと思えたりすることがあっても、洋楽ではそういうことが起こりにくい。

 

このことから洋楽を聞く人にはメロディー重視派が結構多いのではと推測することが出来る。

 

 

・歌も楽器

自分の場合は、歌声も楽器の一部と捉えている。歌詞の内容よりも、歌詞のもつ言葉を歌声という楽器に乗せて演奏を含めた曲全体を身体で味わうという聞き方をしている。

 

同じ楽器でも音色は違うが、声にもかなりの種類があり、楽器に様々な表現方法があるように声に関しても様々。

まず声質の違いがあり、声の出し方、伸ばし方、響かせ方、息の抜き方、言葉の発し方等が人それぞれに違う。自分はまず最初に自分にとって心地いい音を出している声かどうかを聞く。歌詞の言葉の意味は捉えず、その言葉の語感やメロディーへの歌詞の乗せ方を聞く。

 

声には他の楽器と同じ音程、同じ長さ、同じ強さ、同じ技法、同じ表現であっても、言葉という他の楽器にはないものが唯一存在する。これがとても大きい。

 

自分は何も考えずに歌声に癒されたり音楽に乗って楽しみたい。でもだからと言って「ラララ」だけだと、音程やニュアンスは違っても、声という他の楽器にはない言葉を選べるという最大の利点を失うことになる。歌詞のもつ言葉の響きがあってこその歌になる。

 

 

・歌詞そのものから歌詞の内容を伝える

何も歌詞を疎かにしているわけではないのだが、残念ながら自分は歌詞を見て内容がさっと入ってきたりイメージ出来たり理解できるタイプではなく、よく読んでもちょっと捻った表現や遠回りな書き方をされるとさっぱり意図を汲み取れない程度の頭しか持ち合わせていないので、ド直球な表現、自分に馴染みのある分かりやすい言葉を使ってくれていないとなかなか響かない方なのである。 個人的にはSURFACEの曲などは歌詞が分かりやすい曲が多くて好きだった。


例えば自分はチャゲアスの楽曲が好きだが、歌詞の意味は残念ながら殆ど頭に入って来なかった。尾崎豊の場合はある程度歌詞の内容は理解できたものの、後期の曲こそ歌詞に共感できる部分もあるが、初期の頃の歌詞はとても好きになれる内容ではなかった。

が、自分にとってはこのアーティストは共通して、曲、声、歌い方、メロディーに乗った歌詞の心地よさがたまらなく好きだ。

 

何故このアーティストをあえて書いたかと言うと、どちらも物凄く歌詞に重きを置いていて、ASKAはメロディーのない詩集を出して詩を伝えるということをしているし、尾崎は自分が知る限り曲よりも歌詞についての評価が圧倒的に高いし、実体験を元にした強いメッセージ性があった。だが自分は歌詞ではなく曲と歌声を聞きたくて彼らの曲を聞いている。

 

自分の音楽の聞き方は詩を書いた彼等からすると非常に面白くないのではないかと思う。というかこの記事の中で作詞家を敵に回しそうなことを言ってしまってそうにも思えるが、歌詞を聞けと言われて歌詞カードを読んでも歌詞に注意して歌を聞いてもその内容を簡単に理解できないような人間もいるのだということは分かって貰いたいところでもある。

 

なまじ多くの言葉を知っていたり語彙力がある人が書いた歌詞は、人によってはパッと聞いただけでピンと来ないこともあるだろう。歌に限らずあえて難しい言い回しをする人がいるが、個人的には誰にでもわかるような表現を好む。でもそれだと正しく伝わらないものもあるだろうし、詩を書いた人が伝えたいものが表現できなかったりすることもあるだろう。先に書いた言葉の言い回しも含めて曲という論点で行けば、安易な言葉よりも別の難しい言葉の方がメロディーにより合うというところからその言葉を選んでいる可能性もある。でもそうすることで歌詞の内容が分かりにくくなって自分のようなあまり教養が足りてない人間には内容が理解できなくなったりする。

 

そういうような人が歌詞を理解するまで色々考えないとその曲を聞いてはいけないということもないはずだし、それをしろと言われたら音楽を聞くのが億劫になってしまう。 もっと自然に音を楽しみたい。別に歌詞をちゃんと読めとか誰かから言われたわけでもないのだが、歌詞をちゃんと聞かないことは悪だと思われているところもあるような気がしたので、少しだけ言い訳をしてみた。

 

 

・歌詞を伝える歌い方

インストやBGMではなく歌詞がある以上は歌詞をメロディーに乗せて伝えるものこそが歌であると言えるのだが、じゃあ歌詞を見ないと聞き取れないような歌い方をしているものは歌として不適切なのかという話にもなってくる。歌詞が良くても非常にねちっこく歌ったりデスボイスで歌ったり演出で聞き取りにくくなっていたりすると、歌詞カードを見ないと何て歌ってるのか分からなかったりするものだが、それが悪いのかというとそんなことはないと思う。

 

歌である以上歌詞を伝えるものであると言えるが、そもそも詞を伝えるだけであれば何もわざわざメロディーに乗せる必要はないわけであって、逆に歌である以上メロディーに乗せるものであると言えるので、メロディーや歌い方というのも歌の大事な要素になる。

 

歌い方に特徴がありすぎて言葉がハッキリ聞き取れないような場合は楽曲そのものから歌詞の内容を聞き取って欲しいとは思っていないんじゃないかとさえ思えてしまうが、本当に何を言っているのか全く分からないものは別として、あえて特殊な歌い方をすることによってその歌詞を強く印象付ける効果もあると思うから、ハッキリはきはきと歌うだけが伝わりやすい歌い方というわけではないと言える。

 

 

・ライブで歌詞を伝える

ライブで歌う時に歌詞はどうすれば伝わるのか。マイクである程度増幅出来るとはいえ、楽器に負けない程度の声の大きさは必要で、ボーカルの声がお客さんに届くバランス調整が必要になる。この物理的に歌詞が聞き取れる環境を作らなければそもそもどうあっても伝わらない。

 

その前提があってから、まず歌詞を間違えないようにする。 歌詞の間違え方次第では歌詞の内容を大幅に変えることになってしまうこともあり得る。

 

次にその曲のコンセプトや歌詞の持つ意味を身振り手振りや表情などで表現出来れば伝わりやすくなると思う。

 

シンガーソングライター等自分で歌詞を書いて自分で歌う人というのは歌詞の意味を一番理解しているので歌詞の内容を伝えることについてはリードしていると思われる。

 

誰かが作った歌詞を歌う時、プロとはいえその歌詞の意味をイメージしながら歌う人ばかりではないと思う。タイアップがある場合、その作品のことを具体的に思い描いて歌う人ばかりじゃないだろう。

 

プロも歌詞を間違えているのをよく目にする。自分で歌詞を書いていたとしても間違えている人もいる。
歌詞を見ないで歌うというのは思いの外大変なことだ。歌詞は間違えない方がいいのは勿論だが、では歌詞を間違えてしまったらその歌は全て台無しになるのか。そんなことはないだろう。

 

自分で歌詞を書いていて1番の歌詞の方が好きだからという理由でライブで意図的に2番も1番の歌詞で歌ってしまうような人もいる。
それをどう捉えるかは聞く側次第ではあるが、これは逆に1番の歌詞が大事でそれをより伝えたいという作詞者の意図があるので、そういうのもありだということだ。ただ、2番の歌詞が聞きたかったという人が殆どだろうし、歌詞を間違えて歌ったと思われている可能性も高い。


ライブは基本歌詞を見ないで歌うわけだし、曲数が増えればそれだけ歌詞を間違える可能性が出てくるのも仕方がないし、状況もリアルタイムに変わるし、ダンス等のパフォーマンスなり楽器を演奏しながら歌う人もいたりして、まぁ歌詞を間違えるなと言われても難しいというのは分かるとは思う。


凄く分かりやすいストーリー性があって、一番と二番で歌詞が全然違う場合は割りと覚えやすかったりするが、ほぼ繰り返しで部分的にだけ違っていたり、特に深い意味があるのか分からないような歌詞だと間違えやすくなってしまう。

 

歌詞は伝えたいが、ライブというのはパフォーマンスあってこそのものだと思う。パフォーマンスというものは何もダンスや振り付け等の大きな動きだけではない。バラードを歌い上げる時の表情やちょっとした手や体の動き等で伝わるものもある。勿論曲によっては直立不動が伝わりやすいものもあるだろう。

 

ライブの楽しみ方は歌詞を注意して聞くというものではないと思う。それも楽しみ方の一つではあるが、他にもそのアーティストによって見るべきところが様々ある。ダンスユニットであればダンスも見どころの一つ。パフォーマンスに重点を置くライブも多い。それを考えると、歌詞が大事と言いつつも、ライブにおいては曲もパフォーマンスも重要だということは誰もが分かっていることだと思う。それらの沢山の視覚的、聴覚的な情報があり場合によっては自分も動いているような状況で歌詞の内容もとなると全てに集中するのはなかなか難しいものがある。

 

 

・歌詞の内容とは別の歌詞の良さ

自分はメロディ重視派なので、極端な例だと歌詞がいいから曲がイマイチでも聞くということをしない。よほどストレートで分かりやすかったり、すっと入ってきて自分の中で響いたものでないと、歌詞の内容の曲そのものに関するプラス補正は殆どない。同じ歌でも、歌う人によって明確に好き嫌いが分かれる。どんなにいい歌詞であろうと、好みでない声、歌い方をするアーティストの歌を聞きたいとは思わない。

 

完全にこれは自分の場合だが、自分の好みの声、歌い方のアーティストという前提があって歌を聞いた時、そこで初めて歌詞に向き合うことが多い。そのまま歌詞の内容がすっと入ってくることもあれば、全く入って来ないことも多い。歌詞の内容が分かっていい歌詞だなと思った時は、好きな歌声といい歌詞の相乗効果でその歌は本当に好きになる。

ただ、歌詞の内容が入って来なかった場合でも、言葉の選び方やメロディーへの乗せかたというのが凄く良かったりすると、言葉の意味は分からなくてもこの歌詞はいいなと思ったりする。作詞家は勿論、作曲家も歌手の歌い方もどれも歌詞を歌で伝えることに影響していると思う。曲を作る順番によって比率的にどこが一番いい仕事をしているかは変わってくるのかもしれない。

 

 

・何故歌にするのか

作る側としても、例えば作詞作曲を一人でする場合、恐らく歌詞とメロディーの比重の置き方は違うと思われる。先に曲ができてその後に歌詞をつけることもあるし、先に歌詞ができてそれに合う曲を作るということもある。

どっちに比重があるにせよ、詞だけを書いてどこかに載せてもそんなに読んで貰えないし、詩集とかはなかなか販売出来ないし、買い手もあまりつかないのではないか。曲だけ作ってどこかにあげても、BGMだけのノンタイアップCDを出しても、認知されないし買って貰えないのではないか。

でも歌として歌詞とメロディーが合わさったものだと、メディアとして販売され、Web上に歌詞が掲載され、曲も配信されたりして、どちらか片方だけの時より一気に人目に付く可能性が高くなる。
作り手側は自分の中にあるものを人に伝えたくて歌を作っているはずで、歌詞も曲もそれぞれ伝えたいものがあるはず。その手段として、歌詞とメロディーのどちらかではなく、両方合わさった歌という形を出しているんじゃないかと思うんだがどうだろうか。当たり前のことを言っているだけなのか検討違いのことを言っているのか分からないが。

 

 

・歌詞とメロディーどっちが大事

繰り返しになるが、歌を聞く側は何も強制されるものではなく、聞く曲も聞き方も自由。歌詞に重きを置く人もいれば、メロディーに重きを置く人もいる。両方理解して楽しめれば一番いいのかも知れないが、人それぞれ求めるものは違うはずなので、歌詞を理解しないで音楽を聞くなというのは違うと思うし、歌詞が大事でメロディーはどうでもいいという人もいるかもしれないけどそれもそれでいいんだと思う。

 

それぞれに言い分があるだろうが、極端な話をすれば、歌詞が大事で曲は別に何でもいいって言う人には凄くいい歌詞に滅茶苦茶なメロディーをつけて聞かせたらなんて言うのか、逆に曲が大事で歌詞は別に何でもいいと言う人に物凄くいいメロディーだけど歌詞が耳障りな残念なものを聞かせたらなんて言うのか。

 

歌う時は歌詞も音程リズム等も間違えないに越したことはないが、歌詞を重視する人は歌詞を間違えることを嫌がる代わりに音程には多少寛容だったりするのかもしれないし、メロディーを重視する人は逆に歌詞を間違えるのに寛容だったりするのかもしれない。

でもきっと、どっちの人も、間違えたところは気になるはずで、それはつまり歌詞もメロディーもどっちも大事だということ。その比率が個々で違うだけだと思うから、別に自分の周りの人に何かを押し付けられたリ押し付けていたりしたのを見たということではないが、その人の好きなように楽しめればいいよねという話になる。

 

 

・いい歌詞とは何だろう

何を持っていい歌詞と判断するのか。メッセージ性とはなんなのか。この辺も主観に任される部分なので客観的な指標はあってもさほど重要ではない気がする。

 

同じような歌詞を連呼してるだけの歌は伝えるべきメッセージ性がなくてダメなのかとかいう話しになってくるが、例えばマシンガンズに「森のくまさん」という歌がある。

 

歌詞の内容は、繰り返しを除けば

・森のくまさんフランス生まれ
・森のくまさん娘と出会う
・森のくまさん愉快な牧場
・もりのくまさん
・ボボボボボンジュール
・パリジェンヌ?ジュテーム、トレビア~ン、ポン酢あるの?
・熊牧場、ふとん畳む、正月と盆、熊娘、モンブラン

以上。

 

これをいい歌詞とするか、いい歌とするか。自分にとってはいい歌なのだ。聞いていて楽しい。マシンガンズでもライブの定番曲になっていて実際に盛り上がる。

この歌にメッセージ性があるのかと言われると正直よくわからないが、自分はもう十分この曲に満足させて貰っていて、どんなに綺麗な歌詞やメッセージ性の強い歌詞と比較されてもいいものはいい、となるだけだ。まぁ比較するようなものではないし、そもそも歌詞の方向性が違う多種多様なものを一様に比較するのも無理な話なのだが。

 

 

・歌に感動するとは

その人はどんな歌で感動するのだろう。プロであれアマであれ、その歌を知っている場合には歌詞の内容も程度の差はあれ覚えているはずだが、元の歌詞が良ければどんな歌い方をしても、誰が歌っても歌詞が聞き取れればいい歌になるのだろうか。

 

ライブでは音響やジャンル、曲にもよるが、ハッキリと歌詞が聞き取れるというようなことの方が少ない気がしている。曲を知っている人は補完できるが、知らない人が全ての歌詞を理解するのは難しい。

歌詞を知っている人はライブで聞き取りにくい歌詞の内容を自分の中で補完した上で、音楽の表現という部分を楽しんでいるのだと思うのだがどうだろうか。

 

ここまで自分がメロディー重視派で歌詞の内容が殆ど頭に入っていないということを書いてきたが、こんな人間が歌う歌というのは、内容を分かっていないことが表に出て歌を聞く人は白けてしまうものなのだろうか。逆に歌詞の意味を全て消化した上で歌った場合は誰がどんな風に歌っても、歌詞を理解していない自分より相手に歌詞の内容を届けられるんだろうか。

 

自分もカラオケやライブで人前で歌う機会がそこそこあるので、そこで感じた経験からだと、決してそんなことはなかった。

 

歌詞とメロディーが良ければ誰が歌っても伝わるのか。歌詞の内容を理解して気持ちを込めさえすればどう歌っても伝わるのか。極端な話、気持ちを込めた下手くそな歌と、全然気持ちを込めていない上手な歌ならどっちが伝わるのか。

そもそも歌詞が伝われば感動するのかというとそういうわけでもない。
更に歌詞がよくてもメロディーが悪ければ伝わらないかも知れない。

 

人を感動させる歌というのは、やはり歌の技量自体も大きいと思う。その人が歌うから意味がある。表現力も含めた歌唱力があって伝わるものがある。プロの存在意義というものがそこにあるのだと思う。

 

 

・終わりに

色々書いてきたが、最初に言った通り、歌である以上、歌詞もメロディーも大事。でも楽しみ方は人それぞれ。
自分はその時々で歌詞に感動したり励まされたり笑ったり、メロディーに乗って楽しんだり熱くなったり、歌声に癒されたり刺激を受けたり、色んな楽しみ方を自然としていると思う。この記事を書いて特にこれといった発見があったりしたわけではないが、思っていたことを大分吐き出せたと思うので良かった。何もまとまらないが、今度誰かとお酒を飲みながらこういう話をしてみるのもいいかもしれない。

 

長文にお付き合い頂きありがとうございました。