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極スマクソメガネやまねこ雑記

カラオケ、DAMとも、WUG、空目、その他諸々Twitterでは長くて書けないことをあーだこーだ

個人的な歌うことに対しての拘り

カラオケ

これまで書いてきたことも完全に素人目線だが、今回も同様に主観的に自分自身の知識と経験上から、歌うことに関する拘りというか自分が意識していることを色々書いてみようと思う。

カラオケに関しては各々の好きに歌えばいいという前提が勿論あるわけで、ここに書くことは自分がそうしたいからしているだけであって誰に押し付けるものでもないということは予め念押しで言っておきたいと思う。


・基本は原曲重視

自分自身のオリジナル曲等がある場合はまた違うんだろうが、プロアマ問わずあくまで元々誰かが歌っている曲を歌うという前提でいくと、自分の場合は歌うことへの基本姿勢というのはカラオケで歌うのもバンドで歌うのもどちらにも共通している。

基本的に自分の気に入った曲しか歌わないという前提があり、その上で好きな原曲の良さを表現したいというところが主軸にあるので、自分が原曲に感じている聞き所や歌手の歌いかたの癖で気に入っている部分やここの音の伸ばしかたがいいとかそういう細かいところも含んだ自分なりのポイントを押さえてそこに気を付けて歌っているつもり。


・曲の熟練度

歌詞、音程、リズム、拍が合っていてこそのプラスアルファの表現力になってくるので、先のポイントについてはそれらに注力した残りの余力部分で対応していくことになる。

細かい部分が難しい曲だと最低限歌うのがやっとでプラスアルファの表現にまで手が回らないとなったりするが、何度も歌って熟練度を上げていけば無意識に出来る部分が増えて、細かい表現に割ける余力がより増えてくる。

そういう意味で、その人が好きでよく歌っている曲が魅力的に聞こえるというのはあると思う。


・何に歌う楽しみを見出だすか

自分は単純に歌うことそのものが楽しいとは言えず、歌以外でもそうだがやるからにはそれなりに上手くやりたいと思うし、上手く出来ないことを楽しむことが出来ないタイプでもある。

ぶっちゃけやるからには人より上手くやりたいし、出来れば評価もされたい。皆で歌えば楽しいという感じではないので、リア充っぽいカラオケやら会社の飲み会の後のカラオケは基本的に苦手で、そういう場では聞きに徹して大人しくしているか、もしくはパフォーマンスで盛り上げるかガチで歌いに行くかになってしまう。

自分は原曲に拘るので多くの人よりは細かいところや癖やニュアンスを聞き分けるようにしているつもりだが、そうなると自分の方がよりその曲を聞き込んで細かいところまで知っているというような謎の優越感を感じたりすることもできる。

別に自分のような原曲厨じゃなくても、例えば自分の好きな曲で、1番のサビの最後は上がるけど、2番のサビの最後は下がるといったものがある場合、誰かがカラオケで2番も上げて歌ったりした場合、「ああーそこは上がるんだよなー」と心の中で思って何となく優越感を感じたことがある人はいるんじゃなかろうか。あまりいい例えが浮かばなかったがとりあえずそんなところだ。

そんな優越感と、自分の好きな曲のポイントを自分が表現出来た手応えを感じられた時に自分は歌っていて幸せを感じる。その曲が好きでよく聞き込んで知っている人ならば評価してくれることも多い。

逆に曲が好きでも原曲のように歌えず、自分なりの歌いかたで歌っても微妙で自分がどうやっても上手く歌えないとなった場合は、聞くのは好きでも歌っていて楽しくならない。気持ちよく歌いたい、という思いがあり、上手く歌えた時が気持ちよく歌えている時で充実して楽しいということになる。

人がやらないことをやっている達成感や優越感もある。自分がDAMとものセルフコラボに拘っているのもそういうところが多少あり。

自分と同じような考えでなくても、多少なりとも歌で評価されたいと思ったことがある人は、ここに書いてあることをどう思うのか気になるところだ。


・物真似は悪で自分流は良?

カラオケで歌うときによく物真似について良くないイメージを持ち自分流の歌いかたに拘る人がいるが、それはそれで勿論構わないのだが、個人的には茨の道だと思うのであまりやりたいとは思わない。

曲はそれを歌う歌手に合った形で作られることが殆どだと思うし、レコーディングの時にもその曲や歌詞、作品のイメージに合った形になるように細かい調整がされていると思われる。
歌う人も様々だか、元々上手い人やそこまで上手くない人も、発売された音源はほぼできる限りその曲にとってベストな状態になっているわけで、上手い人でコンセプトに合った歌がさらっと歌える人は割りとすぐにOKが出て、そうでもない人も何度も録り直したり編集したりなんだりしてなんだかんだで出来る限り現状ベストの状態にもっていくんだと思う。恐らくだが。

要はそういうプロの集団が作り歌い方についても細かく監修されているものについて、それ以上のよい表現やアプローチを、音楽の勉強もしていない素人がおいそれと作れるものなのかというところに疑問を抱いてしまうのだ。

歌の勉強をした上での知識があったり、自分で作り上げた歌唱法が確立していてそれが人から評価されているのであればそれで構わないと思うが、普通は無からは何も生み出せないし、基本も出来ていない状態で曲毎に応用を効かせて歌うということは自分には出来ないので、基本的には原曲を真似られるところまで真似て歌うようにしている。どうあっても上手く歌えない場合は開き直って素で歌ったりもするが、それで上手くいくというか、個人的に納得できるケースはかなり少ない。

何度も言うがこれは自分の場合なので、皆自由に歌えばいい。自分は自分が気に入る原曲の良さ以上のものを自分自身でなかなか見つけたり作ったりできないのと、原曲を再現するスキルがない以上、原曲の歌唱法を細かく分けて再現出来るようにすることで、プロの歌唱法をなんとなくでも表現して満足しているだけ。ただ、そんな歌い方をしているだけでも色々勉強になったりもするし、繰り返していれば多少は身に付くものもあり、引き出しが増えたり、対応可能な範囲が増えていくのではないかというところもある。

メジャーでもインディーズでも、あ、これ露骨にあのアーティストの影響受けてる!と思うプロのボーカリストが明らかにいるわけで、試行錯誤した上でオリジナルを見つけたつもりでも、それはきっと誰かが既にやっていることで自分が知らないだけということが殆どだと思う。自分流に拘るのもいいが、参考に出来るものはして自分のものにした上で自分流を磨いていくのがいいのではなかろうか。


・声真似や癖真似

原曲が好きな人からするとあざとすぎたり悪意のありすぎる物真似でなければ、似ているというだけで高評価になることが多いし、自分も似せて歌えたら嬉しいので出来る限りで声真似もして歌うことが多い。

でも当然自分の基本の声があるから似せようとしても限界はあるし、一生懸命自分としては似せて歌っているつもりでも、「やまねこさんなりの歌い方でいいですね!」とか言われてしまうこともある。

声真似以外にも癖真似というか歌いかたの癖が強い歌手だと、それを上手いこと真似ることが出来れば声が似てなくてもそれっぽくなる。個人的にはこっちの方が物真似だと思っているのだが、癖が強すぎる歌手の真似をすると、似ているかどうかよりも上手いかどうかで評価が別れそうな気がしないでもない。自分としては自然な物真似というかが出来ればいいなというつもりで歌っている。


・終わりに

ここまで書いて、自分めんどくせーなーと思ったわけだが、長いことこうやってきて染み付いてしまっているのでどうにも気軽に歌えない体になってしまっている。

それでも自分なりに歌うことを楽しんでいたりするので、多少なりとも共感できる部分がある人がいたら嬉しいなと思いつつ、今回のところはこの辺で。