極スマクソメガネやまねこ雑記

カラオケ、DAMとも、WUG、空目、その他諸々Twitterでは長くて書けないことをあーだこーだ

「Wake Up, Girls! 新章」発表からの気持ちの整理

昨年末に「Wake Up, Girls! 新章」の情報が公開された。

 

WUGのTVアニメが実に3年以上振りに放送されることが決まったわけだが、監督とキャラクターデザインの変更という個人的にあまりにも衝撃的な内容だったため、ライブ会場でそれを知った自分は大きなショックを受け、その後も暫く憂鬱な日々を過ごしていた。あれから3か月近くも経ち今は落ち着いているが、自分の気持ちを整理するのに大分時間がかかってしまった。

 

これから書くことは、WUG新章について自分の中での考えをまとめたものだ。

 

最初に断っておくが、新章を曇りなき想いで純粋に楽しみにしている人、ニュートラルな気持ちで新章を見たい人、新章に関するマイナスな内容は見たくないという人はこの記事は読まない方がいいと思うのでその点はご注意願いたい。

 

三度目のソロイベも迫っており今も多方面で活躍中のWUGちゃん達の頑張りに水を指すような物言いになってしまうかもしれないが、あくまで新章というアニメがメインの話であることを前提に話を進めるつもりだ。

 

それと、執筆し初めてから2ヶ月以上経ち、新章についての新情報こそほぼないが、色々と状況が変わり、ところどころ情報が古い可能性があるし、大分今更感が強めでもあるのでその点もご了承頂きたい。

 

 

 ■WUG新章の(個人的)心得■

それではまず、自分が色々考えた末の新章に臨む姿勢から書いておく。

 

・新章を見る前と1話や2話等の途中で多くは語らず必ず最後まで見届け、その上で自分の中での答えを出す

・アニメのWUGという物語は続劇場版後編のBeyond the Bottomで完結したものとし、新章は続編ではなく完全な別作品として見る

・休まない!愚痴らない!考えない!いつも感謝!

 

この考えに至った理由についてこれから長々と書いていくわけだが、ざっくり言うとこれ以上ショックを受けたくないので期待はせずあれこれ考えずに待ち、実際に放送されたものを全て見終わった後に良いものであったなら素直に喜び、自分にとってそうでなければそれをそのまま受け入れるということだ。

 

無論、新章がどういう形になろうとも、声優ユニットとしてのリアルなWUGちゃん達は今までと変わらず応援するつもりだし、今まで作られたものは変わらず大事にしていきたいと思う。

  

まだ始まってもいないものについてあれこれ言うのは良くないと思いつつ、今回だけは自分の気持ちを整理する上で色々と書かせて貰った。新章を素直に喜べないという人の考えが理解出来ないのであれば、そういう人が何を考えているかということについては色々な意見が既に出回っているがこの記事も一つの参考になるのかも知れない。

 

今出ている新章の情報を見る限りでは個人的にはあまりいいイメージが持てていないのが正直なところなのだが、ワグナー自らが新章に対してネガティブなイメージを拡散させるのは良くないし、最初のテレビアニメ放送の時に最初の数話だけ見て散々ダメ出しをして見るのをやめたというようなことを言ったり書いたりしていた人が多かったが、自分はリアルタイムでは見ずに後から一気に見て好きになったクチなので部分的に見ても作品の良さは判断出来ないということは分かっているつもりだ。

 

多かれ少なかれ新章について複雑な思いを抱いている人はいるはずで、そういう人は恐らく今ワグナーである人ばかりだと思うので、このブログの内容が新章からWUGを見始めるような人への影響はまずないだろうと思って書いてはいるが、個人的には新章が素晴らしいものになったとしてもどういう内容であろうとも今までのWUGのアニメを見て欲しいという思いは変わらないし、新章から見始めた人にも、アニメを見ずにWUGに興味を持った人にもまずは最初の劇場版の七人のアイドルを勧めることになるような気がする。

 

先日のWUGとして初の舞台となる「青葉の記録」は最初の劇場版「七人のアイドル」のお話だったわけだが、やはりWUGを語る上でこの作品は避けて通れず、ワグナーの殆どがWUGに興味を持った人に対してまず七人のアイドルを勧めているのをよく目にするし自分もそうしている。

 

これまでのWUGのアニメは直感含めた好みの問題なだけで、少しの情報だけでマイナスイメージを持っている人も七人のアイドルから一気に見たら好きになる人は必ずいる。後から好きになった人はそういう人が多く、ライブやその他でWUGちゃん達を見て興味を持ってアニメを一気に見てハマったというパターンを友人知人から聞いたりTwitterで沢山見かけてきた。

 

 

■自分の好みと諸注意■

ちなみに、2次3次とマルチに展開するWUGというコンテンツの中で、自分はどちらかというと2次寄りだ。WUGのキャラは皆魅力的で可愛く、七人のアイドルからBeyond the Bottomまでのアニメが本当に良かった。

3次もそれぞれいいところがあって皆好きだし、WUGの曲が本当に好きなので、ライブのパフォーマンスとMCとかでわちゃわちゃしているのを見るのがいい。去年のライブはMCが少なすぎたが、この前のi☆RisとWUGのバレンタインライブはバランスがよく最高に楽しかった。

 

7人いてこそのWUGというのが自分の中の根底としてあり、所謂「箱推し」なので、今年もWUGとして7人での活動が続くことが約束されたということに関しては新章発表は間違いなく自分にとっていい知らせだったと思えるようになった。

 

好きになった作品が終わったり、ユニット、バンド等解散したりすると、その後特定のメンバーについては多少気にはかけても熱量を持って個々においかけるということをしないタイプの人間なので、グループとして活動していることが自分にとっては一番大事なんだと思う。

 

自分は元々ストライクゾーンが狭い人間なので、古参でもないのに老害のような発言が目立つかも知れないし、極端な物言いやキツい表現、配慮に足りない部分があるかも知れない。あと今回はかつてないほど非常に長くなってしまった。

これまでのアニメその他の内容についてのネタバレも含んでいるので、諸々ご注意ご了承頂いた上でこの先を読んで頂きたく、どうぞよろしくお願いします。

 

 

■新章発表時を振り返る■

それでは改めて、「Wake Up, Girls!新章」の発表がされた「Wake Up, Girls!Festa. 2016 SUPER LIVE」の最後まで遡ってそこから話を進めていこうと思う。

 

先日のWUGフェス2016の最後にWUG新章が発表された。今年またWUGはテレビアニメで放映される。これはワグナーにとっては一大ニュースだ。普通ならファンは誰もが手放しで喜ぶものと思うだろう。だがそうではなかった。

 

2年前のフェスでは、WUGちゃん達にすら知らされていなかった続劇場版のサプライズ発表があり、メンバーもワグナーも大いに沸いた。泣いて喜ぶメンバーもいた。会場一体が嬉しさで溢れていたように見えた。この様子はBlu-rayに収録されていて確認することが出来る。

 

今回も似たような状況であるはずなのに、今回は歓声ではなく、会場は静かでどよめきが起きていた。

 

WUGフェス2016のライブが全て終わり、そこから会場の明かりが消えてアニメが始まった。仙台駅という文字が見えて、それをバックに坂道をかけ降りる少女。しかしなんだか見たことのない絵だ。キャラクターデザイン担当の名前が出たが、近岡さんじゃない。ここまでで自分はWUGとは違う何か新しいプロジェクトでも始まるのかと思ってみていた。アニメが進み、監督の名前が映し出された。…誰?自分の知らない名前だった。その後見たことのあるようで見たことのない6人の姿が映し出された。どうやら走っていたのはまゆしぃで、このアニメに出てくるのはWUGちゃん達のようだ。そして、まゆしぃの声で、「Wake Up,Girls!、新章。オーディション、開始。」という台詞が聞こえ、その短いアニメは終わった。

 

まゆしぃが声を入れているということは、当然WUGフェスの出演者は全員この新章については知っていたということになる。

 

しかし、フェスの最後のメンバーのコメント、表情、空気感、特によっぴーの「茨の道」の一言からも、新章発表について会場のワグナーに伝えたくて伝えたくてしょうがない、嬉しさを隠して最後のコメントをしていたようには自分の目には見えなかった。

いや、嬉しさはあったと思う。ただ、キャラデザ変更、監督変更は、ワグナーがすんなり受け入れずに賛否両論あるだろうことをWUGちゃん達も分かりきっていて、WUGの新作アニメがきて来年もWUGとして活動が続けられる喜びと、自分達自身も思い入れのあったはずのこれまで関わった人や物が変わることとそれに関するワグナーの反応への不安が入り交じっていて、どちらかというと後者の感情が大きかったからこそ、あの空気だったんじゃないかなと自分は思ってしまった。

 

 

■監督変更への反応■

WUGも結構経っているので、WUGのアニメが純粋に好きな人は、アニメ関係のイベントに参加している人、WUG関連の本を読んでいる人、出演者やスタッフのインタビュー記事を読んでいる人、イベントや動画等で山本監督の話を聞いている人等、古く熱心なワグナーほど作品に関わった人達が発する声を沢山見て聞いてきていると思う。

 

WUGはアニメ放映時からえらい叩かれようだったわけだが、 実際にアニメを見た上で叩きまくってた人も、確かに批判している部分に納得できるところもあるが、そこまで上げ足取って叩く必要があるのかというレベルだったわけで、その人が好きな別のアニメも全く非の打ち所がないのかと言われたら決してそんなことはないだろうし、叩きたいから材料を探しまくっていたようにしか思えなかった。その人にとってただつまらないだけなら、わざわざ時間を割いてそのつまらない理由を毎週毎週書くような熱量などないはずだ。気に入らないなら見なければいい。わざわざ嫌いなものに関わって叩くのはやってることがいじめと同じだ。

 

最初の好きに理由はなくて、直感で気に入ったものがそのまま好きという感情だと思う。理屈はその後で、何故好きになったのか考えて好きな理由が色々出てくるとは思うがそれは後付けだろう。自分がWUGの好きなところは色々あるが、そういう理屈ではなく、自分はWUGのアニメを見た時に引き込まれ、面白いと思った。どんなに理屈を並べて批判している声を見聞きしようが、自分はWUGのアニメが好きでそれが全て。自分以外にもそういう人は結構多いのではないか。

 

最初のテレビアニメから3年近くも経って、いまだに叩いている人達はただ叩きたいだけだと思うので、監督のことだけで作品や彼女達を非難したり、凄く古い情報を引っ張り出してきたり、作品の中身と関係ないところから叩きたい情報を探したり、七人のアイドルや続劇場版とかライブも見ずに色々言っているだけのように見えて、まだそんなこと言ってるの?という感じでこちらとしても慣れてしまってはいるのだが、要は山本監督がいたからこそWUGが生まれ今のWUGがあることをワグナーの殆どが分かっていて、監督交替に声をあげて喜ぶような人なんて殆どいないということだ。

監督が仮に人間的にどうしようもない人だったとしたら、いくら仕事であってもあれだけの豪華な人達は集まらなかっただろう。脚本家、音楽家、声優、自分が知っているだけでも他の作品で活躍している素晴らしい人達が集まっている。それは紛れもない事実だ。監督含めその人達が自分の好きなWUGを作ってくれた。これには感謝しかない。

 

恐らく、ライブ会場で新章発表のアニメを見て、キャラデザ変更であれ?となっていた人達も、監督の名前が変わっていなければそこで、おおーーーっ!という声が結構出ていたんじゃないかと思う。その後になんでキャラデザ変えたしって文句を言う人は出てきたと思うが。なので何処かで見かけた、「監督が変わったことによって会場が沸いた」なんていうことは一切なく、寧ろその逆だった。帰り際に実際自分の周りでそういう声もあったが、少なくとも「会場が沸いた」ということは間違いなくなかった。本当に適当なことを言う人がいるのだなと。

 

好きは人それぞれだから自分が興味のないことだと声が大きい批判ばかりが目立って目に入ってくるし、好きでもないものを掘り下げて調べようともしないだろうから、悪い情報をそのまま鵜呑みにしてしまう人が出てくるのも仕方ないことではある。自分自身も好きなWUGだからこそ拘っているが、他の作品で何か騒がれたりしていたとしても、それを深く調べようとしたりはしないだろう。そうなるとより拡散されている情報だけで何となくイメージがついてしまって、そこから上書きされることがない。なので拡散された情報が間違っていたりマイナスな情報だった場合、それが上書きされるように正しい情報や作品やコンテンツにとってプラスのことをアウトプットしていくのは大事だと思う。なかなか難しいし勇気がいることだったりもして、自分もあまり出来てはいないのだが、心構えとして持っておきたい。

 

 

 ■新章発表と続劇場版のハイパーリンク

自分は新章に関わることが続劇場版の青春の影の状況と似ている部分があると感じた。

WUGちゃん達が会議室で2ndシングルの作曲者が早坂でないことを告げられて動揺し変な衣装を着させられるということも含めて不安になるシーンがあるが、監督交替をこんな風に告げられているリアルWUGちゃん達を想像してしまった。

そこから劇中でWUGちゃん達は思うように成果が出せず苦しい状況になる。華々しくデビューを飾り東京でのイベントでも結構なお客さんが入っていたものが、新曲に関してネット掲示板の反応が悪い(みゅーがチェックしてるはず)、CDが売れない、b-sessionではライブを見てもらえずトイレタイムにされ、レギュラーの番組も降板させられる。

別にリアルなWUGちゃん達がこれからそんな目に会うとは思っていないが、これから始まる新章の内容次第ではまた最初のテレビアニメ放映時とは少し違ったでも似たような批判を浴びる状況になる可能性はあるのかも知れない。もし新章がコケたら、ワグナーは純粋にその内容について語るのだろうが、叩きたい人達は元々山本監督が作ったものだからと言って叩くのだろうか。

 

今回の監督交替は、続劇場版後編に出てきたダルマのような存在が実在しているということなんだろう。I-1clubゼネラルマネージャー白木のアイドルやI-1clubへの信念や想いは半端なものではない。インタビュー記事を見る限り、白木の信念は山本監督の考えそのものだと思う。その彼もその裏で仕切っている存在には逆らえないような描写がある。そういうどうしようもない力が働いたのだろう。勿論劇中同様にWUGちゃん達にもどうすることも出来ない。

 

劇中では結局最後の最後は早坂の手を借りず、別の作曲者の曲でアイドルの祭典に挑むことになるわけだが、早坂が自分の手を加えずにWUGの本当の力が見たいと言って突き放すというポジションが、今の山本監督と現実のWUGちゃん達の関係のように見えてしまう。望んでそうなったわけではないので天と地ほどの差があるのたが…。WUGを終わらせるところまでの構想を考えていたはずなのに、こんな形で身を引くことは悔しいなんて言葉では言い表せないだろう。自分が同じ立場になったとしたら人間不信になりそうだ。昨年以降の監督のTwitterやブログを見ると、文字を読む限りではファンとしては辛くなるような悲しくなるようなことを言っているのを目にする時があるが、それ以前に発してきた声を見てきているので、自分は今の発言だけを真に受けないようにしようと思っている。

 

 

 ■WUGを作ってきた人達■

新章の発表にショックを受けた自分は、今更ながらにWUGpediaや小説版、公式ガイドブック等を購入し、ネットに上がっているインタビュー記事も含めてこれまでWUGを作ってきた人達の言葉を色々と見てみた。そしてWUGの世界を作っていたのが山本監督と脚本家の待田さんであることを改めて再認識した。

二人ともアニメのキャラと現実の女の子をリンクさせてデビューした彼女らをずっと面倒を見ていくという覚悟を持っていた。今後のWUGに関するビジョンも、キャラクターの心情等も彼らの中で生きていたと思う。それが途絶えてしまった。

 

キャラクターデザインも変わり、イメージも大きく変わった。以前書いたWUGについてのブログでも書いたことだが、自分は曲とキャラデザが気に入ったからWUGを好きになったので、最初から新章のキャラデザだったらまずアニメを見ていなかっただろう。キャラデザが違いすぎるから、新章ではBtBまでの過去のシーンの引用などもきっと出来ないだろう。

 

個人的に手放しで新章を応援したい気持ちは山々なのだが、自分の好きという気持ちに関しては正直でいたい。WUGに関しては近岡さんの絵が大好きだった。新しいキャラデザは自分の好みからは大きく外れている。特報映像を見ても、キャラの動き方が不自然に感じた。今出ている情報ではこれだけは言えることだ。実際放映されるアニメは色々変わるかもしれないし、どうなるのかまだ分からないのでここではこれ以上言及しないが。

 

これまでWUGの主題歌は監督が作詞に深く関わっていた。作品のテーマやキャラクターの心情、置かれている状況なども盛り込んだ素晴らしい歌詞たちだった。新章ではそれもきっとなくなる。

 

今更小説版を読んだのだが、待田さんのWUGに対する強い想いと、キャラクターの心情がよく伝わってきた。7人がそれぞれ一人称で話を進めていくので、個々のメンバーが掘り下げられ、より深くキャラクターを理解することが出来た。

 

舞台「青葉の記録」が発表された際は正直なところ個人的に不安が大きかったのだが、新章が発表されてその後考えを整理している内に、舞台は待田さん脚本なので物凄く貴重で楽しみなものに変わった。 

いざ舞台を見てみると、七人のアイドルからところどころ変えつつも、当時描かれなかったシーンが組み込まれて一部補完するような内容ともとれて、殆ど違和感を感じず楽しんで見れた。それはキャストの配役と演技も勿論だが、待田さんの脚本も大きかったと思う。本当にいい舞台だった。

 

続劇場版前後編は脚本がGreen Leavesなので待田さんはTVアニメまでだったわけで、今度の新章もGreen Leaves脚本でそれだけ見れば続劇場版と同じなのだが、監督は間違いなく脚本に口を出していたはずだから、監督が変わり脚本が待田さんでないとなると、新章はどういう話になるのか全く見当がつかない。

脚本家が同じであれば、監督が変わってもキャラの設定や性格、どこでどう考えどう話し行動するかなどは細部まで引き継がれるだろうから安心出来たのだが、監督と脚本家とキャラデザと主題歌の作詞家、これだけ一気に変わる。イメージを変える為か、今までの流れを踏襲した続編を作るつもりは全くないように感じられる。まゆしぃも新しいものとして捉えて欲しいと言っていた。だからその言葉通りに新しいものとして捉えようと思う。

 

各制作スタッフのインタビューを読んでいると、監督が脚本、キャラデザ、美術、色彩設計、音響、楽曲などほぼ全ての仕事に対して事細かにディレクションをしていたのがよくわかる。そんな人が抜けた新章はどんなものに変わるのだろう。

 

WUGの2次と3次の両方を展開するハイパーリンクにどっぷり浸かったワグナーで、更にこれまで山本監督が作り上げてきたもの、作品のコンセプト、世界観、待田さんが作ったこれまでのストーリーとキャラクター、近岡さんのキャラクターデザインが好きだった人が、諸々の変更をすんなりと受け入れられない人がいるのは無理もないと思うのだが、少数派だったりするのだろうか。

 

 

 ■山本監督の言葉■

良くわからないどこかのまとめ記事とかでなく、ちゃんとしたインタビュー記事を貼っておく。まとめサイトは部分的に取り上げて叩いていることが多かったが、自分はこれらを全文読んでほぼほぼ納得したし、そこまで叩かれる要素があるようには思わなかった。もし読んだことのない記事があるなら是非とも読んで頂きたい。Twitterやブログも彼の顔の一部ではあるが、これらの記事も間違いなく彼の顔の一部だったということを忘れてはいけないと思う。

 

2014/1/9

ヤマカン直撃 新作は「今の思いが全部詰まった“遺言”みたいな作品」

2014/6/6 ※↓この記事は携帯端末だと強制スクロールでまともに見れない可能性あり

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2014/6/6

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2014/7/11

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2014/7/18

ascii.jp

2015/3/21

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ここに書いてあることがWUGのコンセプトであり、自分はそのコンセプトが気に入っている。

 

WUGが作られた背景には震災があり、そもそもの始まりは震災からの復興活動で東北にお金を落とす為に何が出来るかと山本監督がプロジェクトを発案し、アイドルならライブも出来て一番東北に還元できるというところからアイドルものになったということがある。他のアイドルアニメと比較どうこうという話も多少はあったかもしれないが、ここは明確に他のアイドルアニメと違うところだ。聖地を仙台にすることによって、間違いなく仙台への客足は増えているし、お金も落ちている。東北とアニメ以外でも色々なコラボを展開している。本当に素晴らしいことだと思う。

 

アニメの3話で丹下社長がその日予定していたライブをみにゃみ抜きと言ったのが自分には意外だった。プロならそういう時も穴を空けないものと思っていたからなのだが、その時の丹下社長の台詞は「大切な人のそばに居たい気持ち、今のあなた達ならわかるでしょ」というものだった。こんなところにもWUGのコンセプトに触れるメッセージが込められていたのかと後になって気付いた。

 

WUGについてのとあるインタビュー記事に「頑張っている人を応援していると自分も頑張ろうという気持ちになる。そういう励ましかたもあるのだと思った。」というものがあった。過去に記載した記事で紹介した他の人のブログにもあったが、新人声優だけのユニットが一生懸命頑張っているからこそ元気を貰えているというのは間違いなくあったと思う。今もWUGちゃん達は立ち止まらず進んでいる。茨の道かどうかは分からないが、彼女たちの日々の活動から元気を貰えているのは変わっていない。

どんな状況でも厳しかった山本監督が離れて、彼の厳しさの中で育ったWUGちゃんはきっと慢心はしないだろうけど、順調な時や成功した時こそカツを入れて気を引き締めるということをしている人は今彼女らの近くにいるのだろうか。そんなことをつい考えてしまう。

 

 

 ■シリーズものの宿命■

WUGに限らずシリーズものであれば、途中でキャラデザや監督が変わって同じようなことが起こることはままあることだ。

ラブライブアイマスアイカツ等色々アイドルものの作品はあり、これらはどれもシリーズが続いていてそれぞれ2期等の純粋な続編もあるが、続編ではなくタイトルが変わって登場人物も変わったり、キャラデザが変わったり等もしている。今回のWUG新章に関してはそれと同じような大きな変化だ。

ある意味多くの人が通ってきている道なのかも知れないが、その人たちがどういう思いでアニメを見ているのか、そういったところの話を聞けば気付くこともあるのかも知れない。身近でもやはり変化についていけていないというか、その人の好きだったものがなくなることによって離れていった人を見てきている。

 

WUGは2次3次でマルチに展開しているので、WUGに関する全てのコンテンツを楽しむ人もいれば、個々のメンバーに注力してWUG以外の活動も含め追いかけている人もいるし、アニメだけが好きな人、曲だけが好きな人、声優ユニットとしてのWUGちゃんだけが好きな人、声優単推しの人、他にも色々いると思う。

ここで特にアニメが好きでこれまで応援していた人、パンチラやら監督のことでよく知らない人がどれだけWUGを叩こうがそれに対してフォローして回っていたはずのワグナーの一部が、キャラデザ、監督含む新しいアニメに対して批判的なコメントをする可能性が出てくる。というか発表されてすぐにこういう声は出てきていた。自分も多く語っていなかったが、それらの声に納得する部分は多かった。

 

WUGちゃん達はアニメだけではないので、これからも多方面で活動を続けていくことになるだろうが、根底はWUGというアニメがあってこそだったはずで、彼女達もWUGという作品と演じたキャラクターを大切にしていることが分かるからこそ、その部分で今まで好きだったファンが離れていくようなことがあったとしたら悲しいことだ。

 

原作者がいないところで続くアニメは結構ある。原作に追いついてしまった時にオリジナルの話を入れたり、原作が終わった後でもアニメを続けるような場合等。そういったものを受け入れられるかどうかは人それぞれだが、ちゃんと原作の設定や空気感を壊さずに出来ていれば受け入れられる度合いが上がると思っている。

新章にネガティブなイメージを持っている古参のワグナーを出来るだけ多く納得させるには、新しいものであったとしても、コンセプトとキャラクター設定にブレが出ないことが大事なのではないか。古参をふるいにかけてまで新規開拓を狙っているとは思いたくないが、やり方次第ではそうなってしまう可能性があることは否定できない。

 

友人知人から聞いた話やTwitterで流れてくる情報等で、ライブ等の現場で新規と古参の折り合いがつかなかったり、大きな変更がありコンテンツから身を引くような古参がいるというのは知っている。ファンの世代交代とも言えるのだろうか。

 

 

■ワグナーの良さ■

自分が思うワグナーは、WUGという作品自体が叩かれていたからこそ、好きになるのはちゃんと中身を知っている人、他に色々悪い噂があったとしても自分は好きだと言える人、悪い部分があったとしても色々と納得した上でワグナーになった人が多かったのではないかと思っている。

黙っていても伸びるような流行っているとは言えないコンテンツだったからこそ、皆が見てるから好きというような形でWUGに興味を抱く人が少なく、リアルタイムでアニメを見てそのまま気に入った人、WUGちゃんのライブパフォーマンスを見て彼女達に惹かれてそこからWUGのアニメを見て好きになったという人が多いのではないか。深い浅いではなく、適当な言葉が見付からないが所謂ミーハーな人が少ないコンテンツだと思う。

 

ファンの絶対数が少なければその分周りに迷惑をかける自分勝手な人の比率も少なくなるが、ワグナーにそういう人がそもそも少ないのは、上記のようなことも要因としてあると思っている。ストーリー展開からしてどちらかというと大人が好きになる要素が多く、現場にそんなに若い層がいないので必然的にマナーが良くなるというのもあるかもしれない。周りになんと言われようが、自分はWUGの良さを分かっている、そういう思いの人が多いからこそ、ワグナーにはいい人が多いと言われたり、そういう空気が出来ているんじゃないかと思っていたりする。 

 

ワグナーはある意味監督というふるいにかかってうわべだけで判断する人が綺麗に取り除かれそれでも残っている人達だからこそ、作品をより理解していて結束力も強いんだと思う。

 

更に劇中に見本となるオタクが出てきて、そいつらがとても熱くて良識のあるいい奴らなので、WUGちゃん達だけでなく自分自身もハイパーリンクの一部になっているという、一緒に現場を作っているということも、ワグナーであることを誇らしく思えたりするような意識の高さに繋がっているような気もしている。少し誇張している気もするが、語彙力のなさの為もう少しライトな表現が思いつかなかった。ただ、山本監督が言っていたオタクは熱い!ということはこういうところじゃないかなと思っている。

 

WUGのもう一人の主人公は大田であり、このキャラクターをなくしてWUGという作品は語れないと思う。アイドルにはそれを支えるオタクがいる、オタクは熱いということをそのままの姿で描いてくれた。彼らのコールがあってこそのWUGのライブだ。オタクもリアル。これが一番他のアイドルアニメとの差別化だと思う。

 

 

 ■間口が広がることへの懸念■

WUGもなんだかんだでテレビアニメの後に劇場版を2回やっているし、ライブ活動も続けているし、多くのアニソンアーティストが出るライブイベントに参加したり、アニメや作品と関係ないイベントに参加したり、おむすび名人というお菓子のCM、東北AEONのCM、他のアニメ作品である灼熱の卓球娘のEDを歌ったり、WUGちゃん以外の出演者のファン目当てでWUGの舞台を見に来た人等、より様々な形で多くの人の目に触れることになっている。

 

個々のメンバーも違うアニメの声優として活動したり、ラジオに出演したり、カラオケの番組を持っていたりと、今は本当に多方面で活躍しているし、ライブイベントで出演したWUGちゃん以外の声優さんやアニソンアーティストがTwitterやブログでのWUGちゃんに言及したりすることも増えていて、アニメ作品としてのWUGを知らなくても、別のところからメンバーの一人だけを見にユニットとしてのWUGのイベントやライブに参加したりすることが増えていると思う。これは凄く望ましいことだ。

望ましいのだが、間口が広がれば広がるほど、WUGというアニメを知らない見ていない人と、WUGのそもそものコンセプトやどういう想いで作られてこれまで活動してきたのかを知らない人が増えてきて、マイナスなイメージを人から聞いたり見たりしたものだけであれこれ言う人が増えてしまうかも知れない。続劇場版で2ndシングルでコケた時に大田組の一人が言っていた「WUGちゃんのこれまでの軌跡を知らない」人達のことだ。

 

新しいアニメが始まり、監督が変わったことで見始める人も出てくるだろうし、新しいキャラクターデザインが好きで見始める人も出てくるだろう。それ自体は勿論結構なことなのだが、その時にそういう人達と前から好きな人で意見がぶつかってしまうかも知れない。

 

もし新章放映以降で個人的に一番辛いことがあるとしたら、新章だけ見てそれを気に入った人が、これまでのWUGのアニメや監督などのことを悪く言う声を自分が見聞きしてしまった時だと思う。お前に何が分かるんだときっと思ってしまうだろう。老害にはなりたくないのだがそうなってしまう可能性を自分は秘めているので気を付けなければならない。

 

 

 ■新章のコンセプトと新監督■

WUGのテレビアニメが終わった数か月後の山本監督のインタビュー記事を読んでいたら、山本監督が一緒に飲んでいて楽しい相手として唯一名前を挙げていたのが新章の監督に抜擢された板垣監督だったことを知った。

 

この二人が今どういう関係になっているかは分からないのだが、少なくとも当時は相当色々と話しをしたに違いないし、そういう間柄なら山本監督のWUGへの熱意や拘りについてはきっと熟知しているんだと思われる。

ただ、その上で出来てきたものがあの仙台駅の描写となると…

 

自分が心配しているのは、そもそものWUGのコンセプトや、他の作品とは異なるWUGの良さが、新章でどうなるかだ。

 

自分がWUGのどこが好きかというところは以前このブログで書いた。

shryamaneko.hateblo.jp

他の人がWUGのアニメのどこが好きかは自分と違うところもあるだろうが、いくつかは同じところが当てはまるのではないか。これまでのアニメでワグナーに評価されていたことがどの程度継承され、どの程度新しくなるのか、そこが重要だ。

 

震災を話や設定に取り入れるのは、かなりの覚悟がなければ出来ないことで、相当慎重に考えていたのはインタビュー記事にも書いてあるがそれを見るまでもなくわかる。WUGというプロジェクトのコンセプトから震災を避けて通ることは出来ず、やる前から色々批判を受ける覚悟をして取り組んできている。地方にお金を落とす為に聖地巡礼して貰うことを目的としているからこそ東北の景色や街並みは徹底的な下見をして描かれていた。

 

アニメのファンでなくても、街並みや建物を忠実に描いているという事実は作品を知らなくてもその土地に住む人や思い入れのある人にとっては好感が持てるものであり、例え作品を見ることがなくても地元の人が応援してくれたりする。実際、WUGの劇場版「七人のアイドル」は地元仙台市の新規映画作品で仙台を舞台とし観光振興シティセールスに貢献すると認められる作品を認定する「仙台シネマ」にアニメ作品として初めて認定されている。

 

仙台市長や実際にWUGで描かれた仙台のお店の人のインタビュー記事を読んでも、やはり実際の場所や建物などをそのまま忠実に描いていたことをかなり評価していた。そういった人の目は誤魔化せないと思う。新章の仙台駅を見て、これはあの部分が違うな、ちゃんと調べないで描いているな、恐らくそう思われてしまうだろう。アニメの内容に興味がない地元民はここしか接点がない人もいるわけで、そういう人の理解を得られにくくなると色々やりにくくなってしまうのではないだろうか。

 

タイミング的に監督が離れた後でも東北AEONとコラボしたり、岩手でのチャリティーライブを企画していたり、今年も楽天とのコラボナイター開催が発表されていたりするので、少なくともWUGがこれからも東北の為に活動を続けていくということに関しての方針は変わっていないと思うが、新監督が彼の構想を理解していたとして、どこまで覚悟や拘りをもって新章を描いていくかは全くの未知数だ。

 

続劇場版前後編では震災を連想させるような描写はなかったと思うし、別に新章でも直接震災について触れるようなことは必要ないだろうが、街並みを忠実に描写する美術の方向性だけはぶれずにやって欲しいと強く願っている。

現時点で発表されている情報だと仙台駅の描写とキャラデザ変更に関しては言及してしまっているが、監督と脚本家とキャラデザの変更を指示した人物が、新監督にどういった指示を出しているのかと、新監督自身の構想や思惑がどういうものなのかが気になるところだ。

 

もしかすると、旧監督がつけたWUGに対するマイナスイメージを塗り替える為に監督と脚本とキャラデザを一新してアニメをやろうという構想だったりするのだろうか。そう邪推すると、叩かれていた要素を排除しようとして、自分が気に入っていた作品としてのWUGらしさ、リアルさや泥臭さがなくなってしまうかもしれない。

 

だが、実際それを狙っていたとしても、新監督の采配がかつてのTVアニメ版に関わり山本監督に近かった人ということは、前面に出る一番わかりやすいところを変えつつも、中身はちゃんと継承させるということの現れとも取れなくもない。個人的に新章への希望があるとすればこの部分になる。

 

TVアニメは1話を見て劇場版を見に行く気になれるような作りになっていないという批判が多かったが、逆に劇場版を見た後だとあれほどしっくり来る1話もないと思う。サブタイトルの通り静かなる始動だ。そもそも何もできずに解散寸前のところから、一度だけでもライブをやりたいと腹をくくってライブをしてみたものの、さてこれからどうしようかねという状態なわけで、あのテンション以外になりようがない。みゅーがもっともらしい曖昧な頑張ろうというビジョンを語る中、かやたんとよっぴーがしっかり現実を見てそんな簡単にいかないでしょ?のように返すあたりが凄くいい。安易に頑張ろう!なんとかなる!とはならない。WUGは演出含めてリアルでないものは描かれなかった(あったとすればなまはげーずの一部の描写くらいか)。ミュージカルや妄想のような描写がなく、練習せずに急に歌えたりもしない。ナレーションや説明口調の台詞もほぼなく動きや表情や間で語る。ひたすらリアルに拘られていた。自分は制作側が拘っていたWUGのそういうところが気に入っているので、なんとなく勢いで乗りきったりとか奇跡が起きたとかそういうのが新章で描かれないことを願うばかりだ。

 

ただ、最初のTVアニメはお世辞にも成功したとは言えなかった。自分はあの内容で納得しているが、ビジネス的には多くのファンを取り込めていないし円盤も売れていない。再度TVアニメ化がされることが決まったのは、これまでリアルなWUGちゃん達が地道に活動して積み上げてきた下地とアニメより彼女たち自身が評価され人気が出てきて、WUGに対して以前程のマイナスなイメージがなくなっているのがあってこそだと思う。

 

再度TVアニメ化されるということは、当然ビジネス的にも成功させる目的で作られることになる。そうなると前回の反省を踏まえて作成されることになるわけだが、監督の評判だけで受け付けなかった人達を取り込むのが一気に母数を伸ばせることだと判断した可能性がある。キャラデザ含む見た目と監督の変更によってアニメのWUGのイメージを一から塗り替える、そういうことを考えているのではないか。個人的にはWUGちゃんの頑張りによってこれまでのアニメが少しずつでも評価されてきて、以前のように叩く声ばかりが目立つような状態ではなくなる土台が出来てきていると感じていたので、こんな大きな変更などしなくとも作画さえしっかりやれば良かったんじゃないかと思ってしまうのだが。

 

コンセプトや設定は活かしつつ、良かった点をそのままに新しいものが作れるものか自分には全く想像が出来ないところだが、もし新監督が山本監督の構想を継承してこれをやってのけて、WUGのライブ含めたイベントに古参も新規もいやすい現場を作ってくれるようなら物凄いことだ。

 

 

■続編と関連作品■

話がかなり脱線するが、自分は仮面ライダークウガに衝撃を受けた。どこまでもリアルを追求するその姿勢に夢中になった。実在する地名や建物、乗り物がそのまま使われ、警察も末端から上部まで対応するし、一般人の反応も納得のいくもので、劇中で起こる非現実的なことも考古学と科学で説明していた。

主人公も敵に止めの一撃を放った後に、倒れるまでの間様子を伺ってしっかり見届ける。何故ならそいつを倒し損ねると人がまた敵のゲームの餌食になって死傷者が出てしまうからだ。真剣だし覚悟が違う。

 

そういうリアルな世界観を見続けた後に見たアギトの1話を見て、自分は正直がっかりしてしまった。話としてはクウガの後の世界ということになっていたが、敵に言語能力や人と同じ様に考える知能がなくなっていたし、もう一度未確認生命体が出たのなら、以前の警察のメンバーがまた抜擢されるはずだが、それが諸々の事情で出来ないのは分かるが、それについての説明がなかった。クウガはなんでも理詰めで説明してくれていた。そして最後に敵に止めを刺したアギトは戦隊よろしく振り向いて敵に背を向けて背後で爆発。これが決定的だった。

 

リアル路線で楽しんでいたクウガの方向性に満足していた自分にはこれがすんなり受け入れられなかった。今回のWUG新章は作品や登場人物が変わったわけではないが、もしかするとこの位の違いが出てくるかも知れない。

 

とは言え、その後もアギトは最後まで見続けて何だかんだ面白かったので、別にアギトが嫌いなわけでも何でもない。続編と思わず別物と思えば、それはそれで十分面白く、楽しめるものだった。

 

話を戻すと、つまりもし新章が色々と変わったとしても、結局何だかんだで楽しめはするんだとは思う。ただ、歴史や世界としては繋がっていたとしても、別世界の出来事であって、続編ではない、パラレルなものと捉えることにした。新章というのはそういう意味があると自分は思っている。

 

完全な続編の構想は山本監督(と待田さん?)の頭の中にだけあるもので、それがなくなった以上は見た目も含めて完全に別物。WUGちゃん自身も新しいものになると言っているし、自分自身がそう思わなければきっと色々と比較してしまって見るのが辛くなりそうだ。

 

七人のアイドルからBeyond the Bottom迄でWUGという物語は完結し、新章はスピンオフ作品位の心持ちで見るつもりだ。新監督がいい意味で期待を裏切ってくれたら嬉しいが、自分の好きなWUGの続編という形ではとりあえず期待はしないでおこうと思う。

 

そうでなくても、既に公式の絵が新しいキャラデザになっていて、自分はそれを見る度に少し辛くなる。今後はライブの度に今までのキャラデザではなく、新しいキャラデザのキャラが表示されるだろうし、その度に何とも言えない気持ちになりそうだ。それも徐々に慣れていくのだろうか。

 

 

WUGのライブとアニメのハイパーリンク

WUGのライブの感想の記事を見ていると、アニメのシーンに関連付けている人が結構多い。新章以降のライブのハイパーリンクはどういう形で描かれるのだろうか。ライブシーンはなんとなくCGになるような気がする。

 

これまでの作画は確かに悪い部分も多かったが、作品全体で見た時は自分は正直そこまで気にならなかった。ライブシーンだけ切り取ると特にCG使ってやってる他のアニメとは差が歴然だが、それがそこまで気になるようなストーリー展開ではないし、途中で割り込んでくる同じ時間の別の場所のシーンがあるから逆にリアリティーが出てくるというのもある。

 

TVsizeの曲のフルのアニメ映像はあったらあったで嬉しかったが、WUGはオタクももう一つの主役だから綺麗なライブシーンというだけではなく、コールも入った熱いライブシーンになる。MVとは違う。

TVアニメの最終話がWUGの7人だけが映ったライブシーンだったとしたら、大田が涙ながらに叫ぶ例のシーンを見てもあそこまでの感動はなかっただろう。ライブシーンよりもストーリーを大事にしているし、そこを見て欲しいと監督も言っていた。時間やリソースが無くてフルのライブシーンが出来なかったという解釈をする人もいるかも知れないが、余裕があったとしてもきっと同じ構成で作画が良くなっていただけだと思う。

 

新章のライブシーンがミラクルガールズフェスティバルのようになるのであればそれはそれでありのような気もするが、果たしてどうなるのか。これは全くイメージ出来ないから楽しみでもあり怖くもある。

 

新章以降リアルWUGちゃん達のライブがどう変わっていくのか。個人的にはこれまでのエピソードや曲を大事にして貰いたいし、そういったものが感じられるような演出がされることを願っているが、それがどんな形なのかはイメージ出来ない。

 

  

 クリエイター達の声

WUGpediaやその他で製作スタッフの声を色々見たわけだが、その中にこんなことが書いてあった。

「アニメファンの気持ちは対象作品を見ているだけでは分からない。

ファンの妄想力を刺激し続けてきたクリエイターたちの仕事を知れば知るほど、ファンが喜ぶツボが見えてくる。」

自分は作り手側に興味を持ったことはこれまで殆どなかったが、そういう人達の仕事ぶりを読んでみて、色々な気付きがあった。

ここからはWUGpediaから一部抜粋してWUGの良かった点を裏付けていきたいと思う。

 

 

【脚本】

独特の間というか、アニメならではの非現実的な感じがしない構成になっているのがとても良かった。松田に関しては、自分自身も新しい仕事を初めて1年経った時に仕事はそれなりにこなせるようになっても殆どパッと見でわかるような成長はしていないので実際こんなもんだと思う。

未熟な者はそのまま未熟に描かれているし、原因があってそれに対する結果がそのまま描かれているところがいい。口論になるところも、キャラクターの性格を理解すればその子ならそう話すだろうというのが分かる。作詞作曲もプロが担当し、曲を作る人によって歌詞や曲調が変わる。こんな風に殆どの出来事が理屈で説明できるところがWUGの好きなところだ。

 

山本監督

・「シリーズを通して登場人物は成長するもの」と考えている人が多いかもしれませんが、全12話が終わって完璧超人になっているわけないじゃん、というのが僕たちの発想なんです。

 

待田堂子さん

・説明ゼリフや記号的なセリフを一切省いて作ったんです。

・本作のドラマ部分、感情の揺れなどの表現が暗いなどと言われているのかもしれませんが、そこは大事にしたいと思っています。悩みもキャラによって大小ありますけれど、それを乗り越えるというところは貫いていきたい。「どのキャラが、どの問題で悩んでもいいじゃん」じゃなくて、この子だからこう悩む。

マツダは成長しなくても、物語の入口ど出口では感覚が変わっている。

 

【キャラクターデザイン】

完全に好みの話だが、色々なアイドルアニメがある中で、個人的には近岡直さんの絵が文句なしに好きだ。特にステ天の絵は本当に気に入っている。WUGのキャラクターは「記号的ではないリアルな感じでいく」という趣旨があり、他のアニメに比べると地味だが、自分はそこがとても気に入っている。

 

近岡直さん

作画監督の修正ではきれいに可愛く描くというよりも、表情を重視して修正を入れていました。そのシーンにあった表情をきちんと表現していこう、と。

 ・最小限のセリフと表情、仕草だけで芝居をさせたいですね。例えば、劇場版で真夢が事務所に飛び込んで来たときの藍里の表情の芝居がすごく良かった。あそこで「真夢、来てくれたんだ!」とか言ったら雰囲気が台無しじゃないですか。わかりやすく語るのではなくて、解釈の幅を広げるような感じに、更に出来たらいいなと思います。

 

色彩設計

服のバリエーションの多さと、失敗したコーディネーションのくだりは実際WUGちゃんのメンバーの一人がそれでいじられてたわけで(笑)とてもリアルだなぁと。

 

辻田邦夫さん

・(ロケハンに)劇場版の前は忙しくて行けなかったんですよ。なので、テレビシリーズの制作が始まってから行ってきました。足を運んでみると、街への愛着や、モチベーションが違ってきますからね。その際に松田が真夢と出会う望洋台公園にも行ってきたのですが、高台で海が見え、すごくいい景色で鳥肌が立ちました。その公園で写真を撮っていたら、近所に住む方に声をかけて頂いたんです。お話をうかがったら、実際に映画館まで『WUG!』を観に行ってくれたらしくて。「海が見える感じなど、公園をすごくきれいに描いてくれていて、自分たちの住んでいところはこんなにも良いところなんだ、と再確認できた」とおっしゃっていて、本当に嬉しかったです。

 ・服にバリエーションを持たせました。設定制作の山村日向さんが、季節に合わせた服装や小物を10パターンほど考えてくれたんです。おれを近岡さんが絵に起こして、僕が色を付けるという流れでやっていました。アニメとしては私服のバリエーションがかなり豊富だったと思います。

・WUG!の7人に関しては、それぞれ衣装のスカーフの色がイメージカラーとしてありました。でも私服にその子のカラーを必ず入れるかとういうと、ちょっと違う気がしました。それをやってしまうと、”アニメのキャラクター”になってしまうんですよ。実際の女の子だったら「私のカラーは赤だから赤ばっかり着る!」ってことはないですよね。そこはリアルを追求して、その代わりに持っている小物などの色にキーカラーを使うように心掛けました。また普通の女の子の服装なので、日によっては失敗したコーディネーションがあったりするかも知れないですよね(笑)。それでも本人は気に入って着ているということがあってもいいと思うんです。WUG!の服装に関しては、完成されていない方がいいという意図もあり、ちょっとダサめの色味のものも作りました。

 

美術監督

実在の景色をそのまま再現するドキュメンタリータッチな美術がテーマだったということで、WUGpediaに載っている写真とアニメの絵を見比べてみると本当に忠実に描かれているというのが分かる。これも間違いなくWUGのリアルな世界観を作っている。

 

田中孝則さん

・(「実在する風景をアニメに落とし込む難しさというのは、どういったところにありましたか?」に対して」

いちばんは、「嘘をつけない」ところですね。実在する街や建物を描くわけですから、そこで生活をしている方に対して失礼のないようにしなくてはいけないというのがありました。

 ・苦労したところは基本的に全部です(笑)。極端なことを言うと、美術や背景というのは、映像を見ている人にとって目がいかない、邪魔にならないものが理想なんです。ただ、本作では「(視聴者に)仙台に行ってもらいたい」という作品としての願望があったので、それを両立させるというのは、なかなか難しかったです。

 

【音響監督】

 全体的に静かなところはとことん静かだった印象。でも盛り上がるところはBGMや歌で凄く盛り上がる。新人声優7人の初アフレコで大変だったと思うが、ありのままの彼女たちをありのままに見せる作品作りだったということで、それが良かったと思う。

 

菊田浩巳さん

・(「アフレコでのWUG!メンバー達の様子はいかがでしたか?」に対して)

役作りという面では、『WUG!』のキャラクターやシナリオは彼女たちの経験から作られた部分もあるようなので、そこまで頭を抱えた記憶はありません。それに山本監督が「このシーンはこういうことで、ここは、前にこういうことを経験したでしょ?」と、細かく説明されていましたから。監督だけでなく、待田さんやエイベックスの育成担当の方たちも彼女たちを見守っていて、時間をかけてコミュニケーションを取りながらこの作品を作り上げていました。

・BGMの付け方については、音楽でシーンや感情を説明しすぎないように気をつけました。うまく言えないんですが、山本監督のフィルムは、音楽を要求してこないシーンがはっきりしているんです。間も含め、会話劇で十分成立する。だから必要以上に、音のほうで盛り上げたり、説明する必要性はないなと。

 

 

この他にもMONACAやプロデューサーの方々、モデルとなったお店の人のインタビューなども載っているので、後から読んだ自分が言うのもおこがましいのだが、WUGpediaをまだ読んでいない人は読んでみることをお勧めしたい。

そしてこの人たちの仕事ぶりが新章でも活かされることを願っている。

 

 

 ■最後に■

冒頭に書いた自分が新章に対して臨む姿勢の3つ目の人気アイドルの心得だが、これの「考えない」は、色々考えない、余計なことを考えない、くよくよ考えない、ということらしいので、新章についてあれこれ考えるのは今回の記事を最後に正にこれを実践し、極力愚痴らず、頑張ってる姿から元気をくれるWUGちゃんと、WUGちゃんの活動を支えてくれているスタッフやキャストやワグナーにいつも感謝!という精神でいきたいと思う。

ここまで長文を読んで頂きありがとうございました。